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名古屋地方裁判所豊橋支部 昭和36年(ワ)33号 判決 1963年9月06日

原告 坂崎正雄 外二名

被告 岡田寿市 外三名

主文

(一)  被告岡田寿市、同荒木桂は各自、

(イ)  原告坂崎正雄に対し金参拾参万五千四百参拾六円

(ロ)  原告坂崎光代に対し金六万参百弐拾弐円

(ハ)  原告坂崎徹に対し金六万参百弐拾弐円

にそれぞれ昭和三十六年三月十日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を附加して支払うこと。

(二)  被告寺本武男に対する訴は却下する。

(三)  原告その余の請求を棄却する。

(四)  訴訟費用は原告等と被告寺本武男、同合資会社大和鋳造所との間では原告等の負担とし、原告等と被告岡田寿市、同荒木桂との間では之を参分し、その弐を原告等、その壱を右被告等の各負担とする。

(五)  被告岡田寿市、同荒木桂に対し原告坂崎正雄が金壱拾万円宛、原告坂崎光代、同坂崎徹が各自金弐万円宛の各担保を供する時には本判決は主文第一項に限り、当該原告より当該被告に対し仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は第一次的請求の趣旨として

「(一)被告岡田寿市、同荒木桂、同合資会社大和鋳造所の三名は連帯して、原告坂崎正雄に対し金百五万六千円、原告坂崎光代に対し金十万円、原告坂崎徹に対し金十万円、及び之等に対する昭和三十五年九月二十七日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払うこと。

(二) 訴訟費用は右被告等の連帯負担とする。」

旨の判決並仮執行の宣言を求め、第二次的請求の趣旨として

「(一)被告岡田寿市、同荒木桂、同寺本武男の三名は連帯して原告坂崎正雄に対し百五万六千円、原告坂崎光代に対し十万円、原告坂崎徹に対し十万円、及び之等に対する昭和三十五年九月二十七日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払うこと。

(二) 訴訟費用は同被告等の連帯負担とする。」

旨の判決並仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

(一)  原告坂崎正雄は豊橋市役所の嘱託として電話係をなし傍ら電話請負業岡本工業所の手伝いをなし合計月収一万五千円を得ているもの、亡妻坂崎はなは昭和三十四年十二月より豊橋市桜通共立不動産株式会社に雇われ外交並に集金の業務に従事し月給九千百円を得ていたもの、原告坂崎光代は右正雄とはなの二女で昭和十九年三月十六日出生し、現在愛知県立豊橋高等学校第二学年在学中のもの、原告坂崎徹は正雄とはなの長男で昭和二十三年七月二十七日出生し、現在豊橋市立東田小学校第六学年在学中のものである。

(二)  被告岡田寿市は鶏卵販売業を営み運転免許を得て自家用のマツダ軽三輪自動車を業務上運転しているもの、被告荒木桂は自動車運転免許を得て合資会社大和鋳造所或いは運送業寺本武男方に雇われ自動車運転手として使用者の事業のために働いているものである。

(三)  訴外坂崎はなは昭和三十五年九月二十五日午後二時頃豊橋市内より太平洋の海を見るため被告岡田寿市の運転する六十年式マツダ軽三輪自動車(愛な七九九三号)に岡田と並んで乗車して国道一号線を東進しその後方を被告荒木桂が被告合資会社大和鋳造所所有にかかる五十九年式ニツサン普通大型貨物自動車(三重一す四〇〇八号)を運転して東進し午後二時半頃静岡県浜名郡湖西町白須賀元町五百十三番地先の四辻にさしかかり先行車の運転手である被告岡田は右に方向転換して太平洋岸に通ずる道路に入ろうとしたが、かかる場合右廻りしようとする自動車の運転者は後方より追尾してくる車が追突しないように方向指示器を出して相手方に注意を与えるのは勿論、自己も亦後方を十分注視して追突の危険なきを確かめた上、右に方向転換して右方に通ずる道路に向つて進行すべき業務上の注意義務があり、又、先行車の後を追尾して行く自動車の運転者は先行車が何時、方向転換等のため停車するかもしれぬので、その時は何時でも急停車するか或いは方向をかえ得るよう一定の間隔を保ち前方を十分注視して危険を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘わらず、被告岡田は四辻より二十米手前の地点で一旦減速しバツクミラーで後方を一寸見ただけで大丈夫と軽信し二十米進行して右廻りする時には何等後方を見ないでそのまま右に方向転換をした過失により、一方被告荒木は先行する岡田の車が右に方向転換のため減速停車するなどとは全然考えず、そのまま進行を続けるものと軽信し前方の注視を怠り先行車との間隔も僅かに三、四米で漫然時速約五十粁の速度で進行した過失により被告岡田が前記四辻で右に方向転換しようとしているのを認め急拠ハンドルを右に切り停車措置を講じたが間に合わず、自己の車の左前部を岡田の車の右前部に衝突せしめ、その衝撃で岡田の側に乗つていた坂崎はなをふりおとしひきずり因つて同女に脳出血(脳圧迫症)の重症を負わせ翌二十七日午前七時に死亡するに至らせた。而して右の坂崎はなの死は被告岡田並に荒木の重過失によるものである。

(四)  したがつて被告荒木、同岡田は共同の不法行為により坂崎はなを死亡させたものであり、各自連帯して被害者又は遺族に対しよつて生じたすべての損害を賠償する責任がある。

(五)  次に被告荒木の使用者であるが、荒木は被告合資会社大和鋳造所に雇われているものであり同会社所有の車を運転して業務の執行中本件事故を起したものであるから、被告合資会社大和鋳造所も民法第七百十五条により使用者責任がある。只、調査のために原告の兄坂崎敏夫が三重県迄赴いた時、荒木を使用しているのは寺本武男であり同人の業務の執行として運送業務に従事中荒木が本件事故を起したものであると荒木や寺本より云われたので第二次的に、被告合資会社大和鋳造所に使用者責任のない場合は被告寺本武男にその責任を問うものである。

(六)  而して損害額であるが、原告方の生活は原告坂崎正雄の収入と亡坂崎はなの収入とを併せようやく生活を維持してきたものであり、之により二女の原告坂崎光代は愛知県立商業高等学校に、原告坂崎徹は豊橋市立東田小学校に通学していた、ところがはなの死亡により正雄だけの収入では到底生活を維持することができず、それどころか光代の通学も覚束なく徹の上級学校遊学も望薄となつてきて原告等の蒙る精神的物質的苦痛は絶大なものがあり、到底金銭ではかれるものではない。はなは月収九千百円のうち殆んどすべてを家に入れていたが小遣を差引き七千円宛と計算しても一年間に八万四千円、五十五才迄働くとすれば現在四十六才であるから九年間であり合計七十五万六千円と云うものは少く見積つて原告に入るべきものが入らなくなつてしまつたのである。昭和十二年三月十六日に結婚して最近漸く生活に希望も出てきた時死なれたもので平均余命表をみてもまだ二十七年は生きて居る訳であり、原告坂崎正雄の慰藉料として三十万円、原告坂崎光代、同坂崎徹の各慰藉料として十万円宛は賠償されるべきものと信ずる。

と述べた。

被告岡田の訴訟代理人は請求棄却の判決を求め答弁として請求原因事実中、同被告が鶏卵販売業を営み自動車運転免許を有して自家用自動車を所有すること、原告主張の頃に浜名郡湖西町白須賀元町地先の国道一号線三辻で本被告運転の車が被告荒木運転のトラツクと接触して本被告の車に同乗中の坂崎はなが重傷を負い、後に死亡したこと、は認めるが他はすべて之を争う。

(一)  本件事故の実情は左記の通りで被告岡田には過失がない。即ち原告主張の日時に被告岡田は原告主張の軽三輪車を運転し運転台横に訴外坂崎はなを同乗させて東進し、国道一号線静岡県浜名郡白須賀元町地先三ツ辻附近で右折するため岡田は前方西進の自動車なきことを確かめ、約二十間くらい手前で右折指示器を出し斜横の地位で後方に続く自動車は何れも直列進行することを確かめ右折し同車体が道路の中央線をこえ後方に続く荷物自動車一台或いは二台が通過したことも認め、右方道路の右端に停車せんとしたる際、被告荒木の運転する貨物自動車が被告岡田の運転する上記自動車に衝突し因つて被告岡田の軽三輪自動車を大破し其の激突のため訴外坂崎はなは傷害を受け静岡県浜名郡新居町川原医院に入院中昭和三十五年九月二十六日死亡し、被告岡田も右鎖骨骨折、右第三、四肋骨骨折、右腸骨部挫傷等の重傷を受けたものである。

(二)  なお被害者坂崎はなは事故の半年程前から豊橋市魚町所在の被告岡田の卵屋に買物に来て知るようになつた程度で、同人は桜井と自称し某金融会社の集金外交に従事していると聞いていたがその住所氏名等は生前中は知らなかつたものである。

(三)  原告は被告等に対し連帯支払を求めているが請求原因事実によるとそれは被告双方に有する過失に基く請求となつている。過失には共謀と云うこともないから各自が自己の過失に基き独立して責任を負うべきであり、連帯責任を負担すべきいわれはない。殊に両者の過失に軽重のある場合、他人の重き過失による損害金額迄も負担することは承服し難い。

(四)  被告岡田の契約する自動車損害賠償責任保険から保険金三十万円が本件事故につき支払われた。その明細は明かでないが、原告坂崎正雄に対し被告岡田より財産上の損害金として支払つたものであるから、右金額を控除されたい、

と述べた。(立証省略)

被告荒木桂、同合資会社大和鋳造所、同寺本武男の訴訟代理人は請求棄却の判決を求め答弁として、請求原因事実中「一の点(但し被告荒木が被告大和と雇傭関係ありとの点は除く)、」原告主張の日時場所において交通事故のあつたことは之を認めるが他はすべて之を争う。

(一)  本件事故につき被告荒木には過失なく、被告岡田の一方的過失により起つたものである。交通法規によれば右廻りをせむとする車は後車を通過させてから後右廻りすべきものを被告岡田は後方を見ず後車に注意せずして突然に右廻りしたから被告荒木は己むなく右ハンドルを切つて避けたが及ばず接触して被害したものである。被告岡田は被害者亡坂崎はなと相当懇意の間柄で両人の間には極めて密接な情実関係があつたらしく迂かつに又はのぼつている感があり注意を欠いたものである。

(二)  上記の通り本件は被告岡田の過失に因るものであるから被告荒木、寺本、大和等において相当の注意をなすも損害が生ずべかりし場合であつたと云い得る。

と反駁抗争した。(立証省略)

理由

(一)  成立に各争いない甲第十七、第五、第三号証を綜合すると、昭和三十五年九月二十五日午後二時過ぎ頃、静岡県浜名郡湖西町白須賀元町五百十三番地先の国道一号線路上で被告岡田の運転するマツダ六十年型軽自動三輪車愛な七九九三号と被告荒木の運転するニツサン五十九年型自家用普通貨物自動車三うす四〇〇八号とが衝突したためその衝激により被告岡田の車に同乗していた坂崎はなは路上に転落して頭部外傷、脳出血等の傷害を負つた結果、翌二十六日午前七時頃同郡新居町新居千三百十番地川原外科医院において死亡するに至つたことを認め得て他に反証もないものである。

(二)  原告は本件事故は被告岡田と被告荒木との共同過失に基くものであると主張するから、以下本件事故の実情につき考えてみるに、成立に各争いない甲第四乃至第十七号証、乙第一号証の二の各記載、証人加藤清一、同豊田誠の各証言、被告荒木桂、同岡田寿市の各供述の各一部を綜合すると左の諸事実を認め得るものである。即ち、

(イ)  被告岡田寿市は前記日時頃前記自動三輪車に坂崎はなを同乗させて前記事故現場附近の国道第一号線(輻員九、一米)を東進したが附近海岸を見物するため同車をUターンさせて同道路南側に西向きに駐車しようと企てその準備のため一旦同道路北側に停車して運転席右側ドアーの窓から後方を振向いた処、自車西方数十米の地点を時速約五十粁で西進する被告荒木運転の前記貨物自動車を認めたが、かかる場合自動車運転者としては後続直進車の位置距離速度等を十分検討し、右折するも後続直進車の進路を妨害し之と衝突する等の虞なきことを確認した後に右折転回を開始し而も右折中は絶えず後続車の動向に注視しつつ転回すべき乗務上当然の注意義務があるにも拘わらず、同被告は之を怠り、前記の如く右折前に後続車を一見したのみでその速度距離等も確認することなく発進し、そのまま後続車を顧みることなく時速約十粁で右折転回を開始継続した。

(ロ)  又、被告荒木桂は前記日時頃前記貨物自動車を運転して時速約五十粁程の速度で前記事故現場附近を東進中、約六十五米前方の道路左側に被告岡田の運転する前記軽三輪車の停車するのを認めたが、自動車運転者としては常に進路前方を注視し特に前方に車輛を発見した時は発進停止方向転換等その動向に注意し前方車輛が自己の進路を犯す虞のある時は急停車の措置をとる等して以て衝突事故等の発生を未然に防止すべき業務上当然の注意義務があるのに拘わらず同被告は之を怠つたため被告岡田の運転する前記軽三輪車が発進後やがて時速約十粁程度で右折転回の態勢に入らうとするのを二十五米以上手前で認め得た(したがつて此の時に急停車の措置をとれば衝突を回避し得た)に拘わらず警笛を鳴らし右にハンドルを切つたのみで急停車の措置を講ずることなくそのまま同一速度で進行を継続した。

右両者の過失に因り被告荒木が眼前四米の至近距離で急遽急停車の措置をとつた時は既に遅く国道を南に略々渡り切つた、道路南端より一、七米の地点で南向きの岡田の軽三輪の運転右附近に荒木の貨物車の左前フエンダー附近が衝突し荒木の車はそのまま岡田の車を東に約十二、五米引きずつた後に辛うじて停止したが、その衝撃により開いた左側ドアより当時岡田の車の助手席に同乗していた坂崎はなが路上に転落して前記創傷を負つたものである。

以上の事実を認め得る。

(三)  被告荒木、大和、寺本等は被告荒木の過失を争い本件事故は被告岡田が被告荒木の直前で俄かに右折転回したために起つたもので被告荒木にとつて不可抗力であつたと反駁するが、成立に各争いない甲第七、第八号証、甲第十二乃至第十六号証の各記載、同じく甲第五、第六号証中の被告荒木の指示供述記載、証人豊田誠、同加藤清一の各証言、被告本人岡田寿市、同荒木柱の各供述中同被告等の右主張に沿つて右認定に抵触する如き部分は前記認定に援用の諸証拠に照し措信し難い。

特に甲第五号証(実況見分調書)中の被告荒木の指示供述は次の理由で信用できない。何となれば同号証記載の衝突地点は荒木の車岡田の車の各スリツプ痕の位置から見て正確と思われるし、被告岡田指示の一旦停車地点、転回開始地点も衝突地点との対比上大体正確と思われる。而して右衝突地点と転回開始地点との対比上大体正確と思われる。而して右衝突地点と転回開始地点との間は直線距離でとつても八、八米となつている。ところで被告岡田は前記の通り一旦停止后発進して幅員九、一米の道路上でUターン后駐車する予定でいたものであるから、転回中の速度を時速十粁程度とした乙第一号証の二の略式命令の認定は首肯し得るところである。之に対し被告荒木はスリツプ痕によるも明かな如く衝突直前迄急停止措置をとることなく時速五十粁程度(被告荒木の五倍の速度)で進んで来たものであるから、岡田が転回開始する時には衝突地点より四十四米程手前にいたこととなり、二十五米以上前方を横断しようとする岡田の車を認め得たとする乙第一号証の一の認定は首肯し得るところである。よつて甲五号証中被告荒木の指示供述の記載は援用しない。

その他成立に各争いない甲第五乃至第十六号証の各記載、証人豊田誠、同加藤清一の各証言、被告岡田、同荒木の各供述中前記認定に反する如き部分は措信せず、他に之に反する証拠もないものである。

(四)  然らば本件事故は被告岡田、荒木の共同過失に因り生じたものと云うべきであるから右被告両名は共同不法行為者としてそれぞれ本件損害の全部につき賠償の義務がある。(主観的に共謀乃至は共同認識の存することは共同不法行為の成立要件でないから客観的に行為の共同の存する以上、共同不法行為の成立を妨げない。又、その際、軽い過失の者が他人の重き過失に因る損害迄も負担するのは被害者保護のため己むを得ぬところであり、共同不法行為者間の公平は求償により回復されるであらう。)

(五)  次に原告は被告会社が被告荒木の使用者で本件事故は被告会社の業務執行中の事故であると主張するが、成立に各争いない甲第十二、第十四号証、証人坂崎敏夫、同豊橋誠、同加藤清一の各証言、原告本人の供述中、右原告の主張に沿う如き部分は後掲諸証拠に照し措信し難く成立に各争いない甲第二号証の一乃至四による右事実を認め難く他に之を認めるに足る証拠がないのみか却つて右諸証拠の各一部、証人安井正明の証言、被告本人荒木桂同寺本武男、被告代表者山本長一の各供述、成立に各争いない甲第十三、第十五、第十六号証によると、本件事故の際被告荒木の運転した車の自動車検査証は被告会社名義になつて居り被告会社名がボデーに書かれてはいたが実は被告寺本の所有で同被告の事業に使用されていたものであり、只、被告寺本が被告会社の自家用車を装つて被告会社の荷を運送する便宜上、被告会社名を借りていたに過ぎぬものであること、被告荒木は被告寺本の甥で同人に雇われている者であり、被告会社の雇人ではないこと、本件事故の際も被告寺本が訴外三興水産から頼まれた海老の運送中であつて、被告会社の事業には関係のないこと、只、上記のような事情があるため、本件事故に際し被告荒木や助手の森実は警察官に対し本件車は被告会社の車で同人等は被告会社の雇人なる如く供述し、取調係官も一応そのように信じたこと、右のいきさつのあるため被告寺本は被害者側との接衝に際しても「大和鋳造所、寺本武男」と称していたことを各認め得るから原告の右主張は採用し難く、したがつて、被告会社に対する原告等の請求は認容し難いものである。

(六)  次に原告は被告会社に対する請求の認め難い場合は被告寺本に対し使用者責任の履行を求めると主張している。斯様な訴の主観的予備的併合の適否については賛否両論があるようであるが、少くとも被告を予備的にとる場合には予備的被告としては権利主張に自信のない原告の便宜のため本来自分には関係のない第一次的被告に対する請求の審理に終始関与することを強制されることになり、甚しく当事者間の衡平を失することになるので、民事訴訟法の原則に背馳するものとして不適法と解すべきものと考える。よつて原告の被告寺本に対する本件訴は実体的審理に入る迄もなく不適法として却下することにする。(蛇足ながら岡田寿市を原告とする別件は被告寺本に対し第一次的請求をなすと共に之がいれられぬ時のために予備的請求をなすものであるから、此の類型には属しないものである。)

(七)  続いて損害額につき考えるに成立に争いない甲第一号証、原告本人の供述、之により成立を認める甲第十八号証を綜合すると坂崎はなは死亡当時四十六才で訴外共立不動産株式会社の外交集金係として約九千円の月給を受けて居り、豊橋市役所嘱託兼岡本工業所手伝いとして当時月収一万五千円程度をあげていた夫原告正雄と協力して一家四人の生活を支えていたことが認められるから本件事故により原告正雄ははなの将来の協力扶助を失なつたものと云うべく、而してその金額は右はなの収入月額より同人の生活費(月額)を五千円とみて控除した月額四千円の九年(百八月)分(余命二十七年中五十五才迄同様の勤務をなし得るとみた)四十三万二千円の現在価額となるから年利五分として中間利息を控除するとその現在価額は金三十五万六千八十円となる。

(八)  次に坂崎はなの不慮の災害による死亡のためその夫たり子たる原告等が精神的苦痛を蒙つたことは云う迄もないから、被告岡田、荒木は之が慰藉料を支払わなければならない。そこでその金額につき考えるに証人坂崎敏夫の証言、原告本人被告岡田、同荒木の各供述の各一部を綜合すると、原告正雄は年輩の引揚者であるため前記の通り比較的収入が乏しいので原告方でははなの収入をも併せて辛うじて一家の生計を支えていた状況であつたので、はなの死亡当時は在学中の原告光代の卒業さえ危ぶまれたが、正雄の兄坂崎敏夫方に引取られたので漸く生活の目途がつき、原告光代も卒業就職したものの、はなの死亡後は原告等も自然不自由な生活を送つていること、はなの葬儀の際、被告等より合計六千円の香奠を受けた外は格別慰藉の方法も講ぜられていないこと(但し後記保険金は受取つた)被告岡田は株式会社岡田商店の代表取締役として鶏卵販売業を営むものであるが、被告荒木は自動車運転手として月収二万円を受ける外は資産収入もないことを各認め得て他に反証もないものである。よつて右事実に前記認定の本件事故の態様を参酌する時には本件慰藉料額は原告正雄については金二十万円、その余の各原告については各十万円宛とするのが相当と考える。

(九)  ところで、成立に争いない乙第二号証、被告岡田の供述の一部によると本件事故につき被害者請求で自動車損害賠償責任保険より金三十万円が支払われたことを認め得て他に反証もない。而して右三十万円の内訳については之を確認すべき資料がないから、公平の見地より前記認定額に按分して別表乙の通り各原告の各種損害に充てられたものとみるべく、之を控除すると各損害残額は別表丙記載の通りとなる。

(一〇)  上記を綜合するに被告岡田、荒木の両名は各自原告坂崎正雄に対し金三十三万五千四百三十六円、原告坂崎光代、同徹に対し各金六万三百二十二円宛に各本件訴状送達の日の翌日たること記録上明白な昭和三十六年三月十日以降完済迄年五分の割合による金員を附加して支払うべき義務がある。よつて原告の本訴請求は右記の限度では正当として認容すべきだが他は失当として排斥すべく但し被告寺本に対する訴は不適法として却下すべく訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条第九十二条本文第九十三条第一項本文、第百九十六条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 夏目仲次)

別紙

別表

坂崎正雄財産上損害

三五六、〇八〇円

一四一、二八八円

二一四、七九二円

坂崎正雄慰藉料

二〇〇、〇〇〇円

七九、三五六円

一二〇、六四四円

坂崎光代慰藉料

一〇〇、〇〇〇円

三九、六七八円

六〇、三二二円

坂崎徹慰藉料

一〇〇、〇〇〇円

三九、六七八円

六〇、三二二円

七五六、〇八〇円

三〇〇、〇〇〇円

四五六、〇八〇円

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